2017年1月17日火曜日

経済学入門 A6106 A判定

「市場主義にもとづく地域再生の道」と「市民の共同の経済である財政による地域再生の道」の二つの違いについて、具体的事例にもとづいて説明せよ。

はじめに
地域社会は激しく動揺している。その最大の原因は工業の衰退にあるといっていいだろう。しかも1990年代から企業が工業立地を日本からアジアに急速にフライト(逃避)させてしまったことが拍車をかけている。このように工業が衰退すると、地方都市の商店街も空洞化していく。もちろん地方都市で工業も商業も衰退していけば、地方都市の財政も破綻してしまう。地方都市の財政が破綻すると、生活環境を保護する地域社会の共同事業が実施できなくなる。そうなると、工業によって荒廃した生活環境がさらに悪化してしまい、地方都市は人間が生活できるような都市ではなくなってしまう。こうして、本来人間が集住する「場」である都市から人間が流出していく。そのため地方都市は荒廃し、激しく揺れていくことになる。こうした地域社会の動揺は日本に限ったことではなく先進諸国に広く見受けられる共通の現象といってよい。さらに地域社会が揺れている原因が工業の衰退という産業構造の変化と起因することも先進諸国に共通な現象ということができる。ところが地域社会が動揺しているという現象は先進諸国にとって共通な道だとしても地域社会をいかに再生させるかというシナリオは一様ではない。つまり地域社会再生のシナリオは大きく二つに二分している。一つは市場主義に基づく日本を含むアングロ・アメリカン型の地域再生のシナリオである。もう一つは市場主義にもとづかないヨーロッパ型の地域再生の道である。
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2.市場主義にもとづく地域再生の道とリスク
1で述べた地域再生のシナリオのひとつアングロ・アメリカン型の地域再生のシナリオは具体的に新自由主義にもとづく地域再生が1980年代の後半に中曽根内閣によって開始された例が挙げられるだろう。日本の財政の所得配分効果が小さいにもかかわらず、財政が所得配分配をやりすぎているがゆえに経済が活性化しなくなっているという新自由主義の思想が支配的になり、財政による介入を否定し、市場経済のあるがままに任せ、国民国家が経営している国営企業を民営化せよという政策・主張が声を大きくした。そこから中曽根内閣の政策はさらなる発展のため大都市重視のスタンスに変わっていく。工業化が軽工業段階から重工業段階へと進むと、重化学工業ではでは帰化設備が巨大化し企業規模が大規模化する。このように重化学工業段階では生産機能が、機械の生産機能と管理機能を担う工業都市とが分かれる。しかも管理機能は集積の利益があるため管理機能を集積する中枢管理都市が潤うのだ。
しかしそれ以前に大都市における過密問題の解消、地域間格差の是正が問題に掲げられていたはずであった。それは軽工業段階から重工業段階に進むにつれ原料立地的に散在していた都市が衰退していき、中枢管理都市が形成されるようになると巨大な中枢都市に人口が集中し、中枢管理都市の生活機能が著しく低下するからである。このような厳しい状況下で「民間活力」を導入するという新自由主義的政策思想に基づき社会資本の整備が推進されていく。こうして関西国際空港や東京湾横断道路などのビッグプロジェクトが花開き市場原理による都市再生はどんどん推進された。しかし市場主義に基づく都市再生はバブルという見果てぬ夢に踊る結果に陥っていく。ただでさえグローバル化や産業構造の変化は地域間格差を拡大するにも関わらず「民間活力」を導入した社会資本整備はそれを激化させてしまうからである。

3.市民の共同の経済である財政による地域再生の道
市場に基づかないヨーロッパの地方都市再生のキーワードは環境と文化である。工業によって破壊された環境を改善するとともに工業にかわる知識産業を地域に伝統的な文化を復興させることによって復興させることによってつくり出そうとする。ヨーロッパの都市再生の優等生と言われるストラスプールでは汚染された大気を浄化するために、市民の共同事業として次世代路面電車を敷設して自動車の市内乗り入れを原則的に禁止してしまう。もちろんこうした市民の共同事業は市民の共同負担によって賄われなければならない。ストラスプールでは次世代路面電車敷設という共同事業のために企業の支払賃金の1.75%まで課税できる交通機関税を導入する。前述のようにヨーロッパ都市再生では自然環境の再生とともに、地域文化の復興を目指そうとしている。しかもそれを国民国家の枠組みを超えた地域軸でヨーロッパに、そして世界に張ってbbしていく。ストランプールでいえばフランスとドイツの文化を融合したアルザス・ロレーヌの固有の文化の復興を目指す。ストラスプールとともに都市再生に成功した都市として並び称されるスペインのビルバオも汚染された水質浄化という自然環境の再生とともに伝統的なバスクの文化を再生しようとする。文化の復興は人間を成長させる教育の復興とも連動する。つまり文化復興の共同事業は教育振興とも融合する。ストラスプール大学には五万五千人が学んでいる。ストラスプールの人口は二十三万人に過ぎない。つまりストラスプール市民の四人に一人は大学生という事になる。しかも人間の生活空間として再生すると教育機関や国際機関も引き寄せられてくる。ヨーロッパ議会もストラスプールに設置される。さらにミッテランの地方分権政策の一環としてフランスの超エリート養成機関であるエナ(高等行政学院)もストラスプールに移ってきたのである。もちろんグーテンベルクやパスツールという偉人を生み出したストラスプールでは固有の文化に根差した研究機関も整備されバイオなどの研究が花開いていく。こうして「自然的、文化的、人間的」都市の魅力に輝かせたストラスプールは経済界の懸念をよそに都市経済も活性化させていく。自動車が侵入しない「人間が歩きたくなる」ような市街地の地価は上昇し高級ブランド店やフランチャイズ店が進出して商店街は活況を呈している。市場主義によって都市再生によって市街地の地価が下落し、かつ商店街が荒廃する日本の現状とは好対照をなしている。しかも人間的都市に優秀な人材が集結し新しい産業が芽生えストラスプールでは雇用も増加している。日本では市場主義に基づく構造改革が順調にすすんでいる証拠として倒産が相次ぎ、失業が激増している。こうした現状も好対照的だ。宇沢弘文東京大学名誉教授が指摘するように、ヨーロッパ都市再生の秘密は市民が共同負担に基づいて共同事業を実施できる財政上の自己決定権にある。市民が支配する財政によって市民の共同事業を実施できる都市再生が実施されれば大地の上には人間の生活が築かれることとなるだろう。

4.日本のこれから
日本は20年ほど前「民活」の名の下に市場主義にもとづく都市再生を志した。そしてバブルという一枕の夢をみることも経験した。夢からさめれば「失われた10年」と破局への道が待ち構えていただけである。ところが失敗に学習することなく今また市場主義に基づく都市再生が展開している。このままでは大地の上から人間の生活は奪われ無機質な「死せる都市」が誕生するだけだ。今こそヨーロッパの都市再生に学び市場という「神の見えざる手」ではなく財政という「人間の見える手」で市民の共同事業として都市再生を図るべきなのではないだろうか。もちろんそのためには市民が財政上の自己決定権をもたなければならないし、国税から地方税への減税移譲が有効であり絶対条件だ。国民国家が成立する以前にその地域社会がはぐくんできた地域文化の復興を目指すのを忘れてはいけない。そしてこれは地域経済の復興にとどまらず未来の「人間の歴史」を描くビジョンなのである。


参考文献 地域再生の経済学 豊かさを問いただす 神野直彦著 中公新書

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