2017年1月17日火曜日

日本国憲法 A判定 A6109

法の下の平等について

1.はじめに
憲法とは国家の組織や権限、統治の根本規範となる基本原理・原則を定めた法規範をいう。また、法規範ではなく国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もある。日本国憲法十一条は国民すべての基本的人権を享有すること、この基本的人権は永久不可侵の権利として現在および将来の国民に与えられることを定めている。ここには人権がすべての人間の生まれながらの権利として国民に与えられたものであり、法律をもっても奪うことのできないものであるという本質が明らかにされている。さらに九十七条には人権を保障する条文が書かれているが、この条文は最高法規という章に含まれている点からみて憲法における人権の保障は国家の最高ルールであり核心といえる。以下より憲法の歴史を振り返るとともに設題について論じる。

2.日本国憲法の成立と歴史
日本において、法の下の平等という認識が国民に強く根付いたのは、日本国憲法の成立とともにある。それ以前の憲法、つまり明治憲法においても、平等に必要な人権を人々に与えられている。しかし、当時の人権は天皇という絶対的な権力の下に国民が恩恵を受ける、といった考えに基づいて定められた人権であり、華族の特権や男女の不平等が目立ち、十分に平等や自由を与えられることは実現されなかった。そして第二次世界大戦において日本は敗戦国となり、ポツダム宣言の受諾によって華族制度や君主制度といった明治憲法の反民主的要素を改正することとなり新たな憲法として日本国憲法が成立した。憲法が規定される衆議院総選挙では、圧倒的多数で日本国憲法を支持していた。このことから国民が自由や平和、平等を求め望んでいたことが計り知れる。そして日本国憲法は明治憲法から一転して第一の原理は国民主権に変わった。国民が国政の最高決定権者であり、国家の権力行使を正当付ける権威も国民にある。徹底して国民の人権の保障を規定することとなった。

3.自由と平等
人権の保障は日本国憲法の三つの基本原理のひとつである「基本的人権の尊重」として位置づけられており、書かれているさまざまな基本的人権の尊重は、歴史上それが侵害されてきたことを示し、これからの将来において基本的人権の侵害を許さないことの決意表明である。そしてまた憲法は自由を基礎としている。人間は自由にものを考え、様々な思想、信仰をもち、人間同士互いに伝え、表現しあう。それら自由な精神活動は憲法が規定している政治の仕組みを働かす上では不可欠なものである。よって憲法は、思想・良心の自由、信仰の自由、表現の自由、学問の自由をそれぞれ保障しているのである。このような自由の観念は、自由権の保障に基づき、この自然権を実定化した個人の尊厳の原理は憲法の中核を構成する根本的な要素である。ここで、日本国憲法141項より「すべての国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分または門地により政治的、経済的または社会的関係において差別されない」とし、平等の原則を定めている。そして「法の下に」平等とは、法そのものの内容も平等の原則に従って定立されるべきだ、という法内容の平等を意味する。法の下に「平等」とは各人の性別、能力、年齢、財産、職業または人と人との特別な関係など種々の事実的・実質的差異を前提として、法の与える特権の面でも法の課する義務の面でも、同一の事情と条件の下では均等に取り扱うことを意味することである。
平等の理念は自由とともに、個人尊重の思想を基礎とし、常に最高の目的とされてきた。

4.平等観念の歴史
十九世紀から二十世紀の市民社会においてすべて個人を平等に取り扱い、その自由な活動を保障するという形式的平等(機会の平等)は、結果として個人の不平等をもたらした。資本主義の進展に伴い、持てる者はますます富み、持たざる者はますます貧困に陥ったからである。二十世紀の社会福祉国家においては社会的・経済的弱者に対して、より厚く保護を与え、それによって他の国民と同等の自由と生存を保障していくことを要請する平等の観念を、実質的平等(結果の平等)という。このことから、平等の理念が歴史的には形式的平等から実質的平等をも重視する方向へと推移していると言える。

5.合理的差別の判例
形式的平等から実質的平等に推移した具体的な事例として収入の多い高額所得者に累進的に高率の所得税を課する、累進課税制度が挙げられる。この方式を用いて、富を一部の階級に集中させず社会福祉にあてることで国民全体に分配されることとなり、実質的な平等を実現に近づけることができる。しかし累進課税方式を経済的強者の立場から見れば、法の下の平等が崩れ差別を受けることになる。これが合理的差別である。このことから人々に自由を与えることによって平等が遠ざかり、平等を実現するために自由が規制されているのがわかる。

5.実質的平等と合理的差別
上記で述べたように完全なる平等は自由を制限し束縛し、完全なる自由は平等が失われてしまう。人間は具体的に差異がある以上、それを法が一切無視して均等に扱うことが適当ではなく、禁止されているのは正義に反する差別、合理性を欠く差別である。すなわち不合理な差別取扱が十四条一項に反して違憲となる。一般的には法令の目的からみて客観的に規制を受けるべき範囲と、法令が採用している区別の微表の及ぶ範囲とを比較することがおおい。

6.尊属殺人重罰規定事件
実質的平等は各対象に対して平等を使い分けている分、「区別」なのか「差別」なのかしっかりと見極めた上で実施することが必要だ。そこで実際の違憲審査が行われた1973年の事件を例としてあげる。被告人は中学二年のとき実父から姦淫され、以後十年以上夫婦同様の生活を強いられて五人もの子を産んだ。29歳になって職場の同僚である青年と愛し合い、正常な結婚の機会にめぐりあったが、実父はあくまでも被告人を支配下において醜行を継続し、十日余りにわたって脅迫虐待した。このため、被告人は懊悩煩悶の極に陥り、その状況下で、いわれない暴言に触発されて、この忌まわしい境遇から逃れようと実父を絞殺し、自首した。

7.平等違反の違憲審査
上記の事件で刑法200条に記載された「尊属殺」の厳罰規定が、死刑または無期懲役刑のみに限っている点において、憲法14条の法の下の平等に反していないのかどうかが問われた。これに対し最高裁は、刑法200条は普通殺に関する刑法199条に著しく不合理な差別的扱いをするものとして、憲法14条一項に反するものとし、刑法200条の適用を変更し、その後削除された。違憲か、合憲かを判断するには裁判所が法令の違憲審査を行う際に、経済的自由権の規制と精神的自由権の規制とでは、違憲審査基準の厳格度が異なるべきであり、前者の場合は合憲性が推定されて厳格な審査基準が適用されるべきであるという考え方を意味する。その考えに基づき、対象となる権利の性質の違いを考慮して、立法目的と立法目的を達成する手段の二つの側面から合理性の有無を判断するのが妥当であると考える。

8.結びに変えて
自由と平等は相反するものであり、同時に手に入れることで両方に限界が生まれることになるのではないかと考える。なぜなら、完全な平等は社会主義となり個人の自由を奪う。また、完全な自由を与えると個人的な差が生まれ平等性が失われることを意味する。「自由」も「平等」もそれぞれ必要である。バランスを正しく見極め、絶対的平等を目指すより自由を保ちながら相対的平等を目指さなければならない。そのために合理的差別が必要となる場合がある。合理的差別と逆差別はすぐ隣にあるものだと念頭に置いて生活しなければならない。

参考文献
「憲法入門 第四版補訂版」 伊藤正己著 有斐閣

「憲法(第四版)」 芦部信喜 岩波書店

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