2017年1月17日火曜日

経済学入門 A6106 A判定

第一設題 サッチャー主義にはじまる「新自由主義」ないし「新保守主義」政策について、その基本思想と具体的政策およびそれがもたらした事態について述べよ。

1.はじめに
サッチャーが政権を握る以前、イギリスにおいては国有化が大規模に始められ、それは多くの国の国有化に影響を与えてきた。このイギリスの国有化は第二次世界大戦後すぐに成立した法律によってその枠組みが作られた。そして労働党が国有化を推し進めようとし、保守党がそれに反対してきたのは事実であるけれども、戦後の国有化の実施過程を見ると名目上ほど対立していたわけではない。すなわち石炭・ガスにみられるように当時これらの産業は困難な状況にあったので、民営のままでは無理と見られていた。そのため、保守党はほとんど反対しなかったのである。しかし、多くの国有企業が効率性に欠け従業員の福祉をも達成していないという認識が一般の人びとにあった。また、これらの原因の多くが国有企業の活動に対する、絶えざる政治的干渉に帰せられるという一般認識も広くあった。

2.サッチャー主義の基本思想
サッチャーは先に述べた状況に対して、全面的改革を掲げて戦いを挑んだ。彼女は公共投資によって雇用を創出し財政出動によるコントロールを重視する経済政策を社会主義計画経済であり、社会保障や福祉政策の拡充による「大きな政府」が経済の発展を阻害すると考え、できるだけ財政出費を抑え資本主義本来の市場原理で自由競争を保障する必要があるという「新自由主義」(新古典派、または経済政策は財政によるより通貨の供給を通じて行うべきであるという考え)の経済政策を採った。また、財政支出の中で大きな負担となっていた社会保障費の削減を強行したのである。このようにサッチャリズムとよばれるサッチャー政権の経済政策思想は経済活動の停止(不況)という現象を前になすべきもなく立ちすくんでいた当時のケインズ的福祉国家を根底から批判し、民営化、規制緩和、行政改革による「最小限国家」を主張する。ケインズ的福祉国家こそインフレーションや生産性の低下を招き、完全雇用さえ維持することすら不可能となっていると批判したのである。サッチャリズムは古色蒼然とした自由主義思想の復活を示していたが、この経済思想が「18世紀から9世紀に採用された自由主義的政策こそ大英帝国の栄光をもたらした」とイギリスでは幼いころからいやというほど脳裏に叩き込まれていたことから熱狂的支持を得ることになった。

3.サッチャー政権の租税政策
当時、フランスの経済学者フーラスティエが「栄光の30年」と名付けた第二次世界大戦の高度成長は、晩鐘を鳴らしていた。第二次世界大戦後に先進国がケインズ的福祉国家をめざしつつ実現してきた高度成長の時代は終わり、生産性上昇率も低下傾向をたどりはじめていった。失業率も高い水準のままであるばかりか、物価上昇も加速していく。経済停滞の下でのインフレーション、つまりスタグフレーションが生じていたのである。サッチャー政権が挑まなければならなかった政策課題はスタグフレーションの解決であり新自由主義の政策思想によって課題に対応しようとした。政権が成立した1979年以降の消費者物価の動向をみると政権成立とともに急速に低下に向かい90年までつづく政権下では安定的に推移していく。したがってサッチャーはインフレーションの抑制という課題に対してはその解決に成功したと評価できる。しかしインフレーションの抑制の結果には皮肉にも新自由主義への背教の結果なのである。サッチャーは政権前の35.2%から約40%へと、租税負担率を引き上げた。つまりサッチャーは「最小限国家」という小さな政府を新自由主義の政策思想として掲げながら租税負担率を増加させることによってインフレーションの抑制に成功したのである。しかし、新自由主義の経済思想からいえば、租税負担率を引き上げれば経済停滞を招くはずである。スタグフレーションこそケインズ的福祉国家の産物である、と批判する新自由主義の経済思想からすれば、インフレーションとともに経済停滞にも挑戦しなければならない。ところが租税負担率を上昇させることは、そうした新自由主義の経済思想に背反することになるだろう。サッチャー政権が採用した経済活性化のための租税政策は、租税負担率を引き下げることではなく、負担構造を変革する内容であった。具体的には、租税負担を富裕階層から貧困階層にシフトさせることによって経済活性化を果たそうとしたのである。そのため所得課税から消費課税へシフトさせていく。サッチャーは1979年の税制改革では2583%の11段階の税率で課税していた所得税を最高税率に引き下げ、2560%の七段階で課税する税率構造に改めた。さらに88年には所得税の最高税率を60%から一挙に40%にまで引き下げ、そのうえ税率の段階にも25%と40%という二段階にするという画期的な改革を実施したのであった。

4.サッチャー政権の租税政策の結果
3のように租税負担構造を変化させることによって、経済が活性化したかという問題については労働生産性は生産高でも製造業でも上昇したデータがある。このかぎりでサッチャリズムは製造業を含め、労働生産性の向上に成功したと言えるだろう。しかし産出高の成長率ではサッチャー政権期を含む1979年~1995年は全産業だと平均1.8%である。60年~73年の全産業産出高の年平均成長率は3.2%にも達しているのだ。しかも、1979年~1995年の製造業の年平均成長率はわずか0.3%にすぎない。1960年~73年の製造業の産出高の年平均率は3.1%であり明らかにサッチャー政権下での製造業の産出高は下降傾向にある。つまり労働生産性は上昇したけれども、産出高をみると下降傾向にあり、特に製造業で著しいという事だ。サッチャー政権下の生産性向上は技術革新を基軸とする積極的な設備投資の拡大よりも消極的な減量経営の成果として生じていることを意味している。これにより、イノベーションに果敢にチャレンジした企業が報われたのではなく、容赦なく人員整理した「無慈悲な企業」の勝利だったとわかる。

5.国営企業の民営化
サッチャー政権は減税をして小さな政府を目指したのではなく、国営企業の民営化を推進して、小さな政府を目指した。1979年の英国石油にはじまり、航空宇宙、道路輸送、自動車生産、通信、航空、空港、鉄道、鉄鋼、水道、電力石炭などほとんど国有産業で民営化が行われた。これにより多かったストが減り、労働生産性は向上をたどる。また政府が放出した株式は従業員持ち株制度を通じて従業員にかなりの部分保有され一般国民の多くも株式保有者となったのである。また政府も株式の売却による多額の財政収入を得た。しかし、公務員の数は半分以下になり、貧富の格差拡大や犯罪の激増などのあらたな問題も浮上してしまった。


6.サッチャー政権がもたらしたもの
上記で述べたようにインフレーションの抑制と生産性向上に成功する裏では失業率が増大する事態が起こった。もちろん、倒産件数も増加し、1979年~1992年に倒産件数は驚くべきことに五倍にも達していたのである。失業や倒産が増加し、しかも租税負担を富裕階層から貧困階層にシフトさせていけば所得間格差は拡大しサッチャー政権が成立すると所得不平等度は以前と比べ急激に悪化しいずれの先進諸国をも上回った。こうして新自由主義は人間の生活を破壊し、人間の生活をおびやかしていく。しかも市場経済によって破壊される恐れのある人間の生活を保護する指名を担っている財政をも破壊してしまうのである。サッチャー政権下では物的資本および人的資本としての社会整備がすすまなくなり研究開発、教育訓練、職業訓練で他の先進国に後れをとることになった。後にこの時代の新自由主義は財政が所得再分配政策や社会福祉政策こそ家族や地域社会の協力を阻害しているとし、人頭税を導入したが市民からの大暴動によりイギリスではサッチャーとともに新自由主義の経済思想は行き詰ることとなった。


参考文献:人間回復の経済学 岩波新書 神野直彦著

0 件のコメント:

コメントを投稿