2017年1月17日火曜日

政治学入門 科目最終試験①②③

          政治学入門 科目最終試験①

住民投票の可能性と限界について論じよ

選挙で選ばれた代表者が志向する政策と社会が望む政策との間に、ズレが生じることは、十分に起こりうる。実際、社会の少数の人が望んでいるにすぎない政策が、あたかも多数派の意思のごとく推進されることは珍しくない。
 このような問題に市民は「おかしい」という素朴な疑問や「放っておけない」という思いから、行動をとりはじめている。そのようななか、市民が注目している一つの手法がある。それは直接民主主義的な手法である住民投票である。住民投票は民意と代表者の意思の間のズレを確認するうえではもちろん、市民の意識と知識は住民投票において妥当な判断をくだすことをかのうとするところまでその水準を高めていると考える。
 

 しかし、住民投票には限界がある。事例の一つに、袖ヶ原市が実施した区画整理事業の是非を問う住民投票では市民が積極的に議論や投票に参加したことで、反対多数という結果に終わった。この事例には住民投票の有効性を発表した一方、その限界も一緒に発表している。それというのは反対多数の結果はまず事業を「止めた」だけであり、ただちに事業の今後を方向付けるものではなかったからである。それも無理はない。住民投票で反対票を投じた人の間では、事業の白紙撤回を望む人から、条件付で事業を容認してもよいという人まで、かなりの考え方の幅も認められるからである。その結果この住民投票は、民意が「現在の計画に反対」する以外に何を求めているのかを表現できていない。つまり、行政や議会がだしてきた政策にブレーキをかけることはできるものの、統制型の住民投票には場合によっては「では民意はその先に何を望んでいるのか?」という問いへの答えを必ずしも出せない限界があることがわかる。



          政治学入門 科目最終試験②

国境を超える市民について論じろ

現代では国境を越え、グローバル化が広がり、市民の連帯運動が活性化している。その背景には、環境破壊や貧困、軍事紛争といった問題自体がグローバル化していることもあるが、大型ジェット機やインターネットの普及によって、市民が国境を越えて連帯する手段がはったつしたことも影響している。アメリカを中心とした先進国の国益追求と、それに連携した世界銀行やIMFWTOなどの国際機関、そして多国籍企業のグローバルな活動はまた、世界中で詩移民のグローバルな対抗運動を活発化させている。
 
このような個々の課題や行動の展開とともにグローバリズムを問い直す運動も活発化している。それはグローバル化が進めば、貧富の差が生まれたり、文化の後退が余儀なくされることから反対意見は生じ、グローバルな経済と政治について交渉や話し合いをもとうとするたび世界中から異議を申し立てる市民が集まる光景がみられるようになってきたからだ。 これは市民にすぎず、国家規模でグローバル化の弊害を是正する動きも浮上している。

 そのような対抗グローバリズム化を制御し、「もう一つの世界」を作っていくことはできるのであろうか。そのためには、積極的な変革のビジョンに基づいた制度的変革に取り組むことが必要であろう。国家レベルでのグローバル至上主義のコントロールを可能とする改革も避けて通れない。また、市民の意識や生活スタイルを含めた市民社会レベルでの変革も重要である。
 その意味でグローバリズムの現状を根本的に転換するには、対抗する市民の側にも構想力や政策的思考、実践力が求められている。



          政治学入門 科目最終試験③

スローな民主主義について論じろ

現代の民主主義を実質化したいと考えるならば、決定(採決)の前には十分な議論が行われることが理想である。さらにテーマによっては議論の前に十分な予習(調査、研究、熟考)が必要になってくる。よって十分な余暇がなければ、民主主義、とりわけ参加型の民主主義は成立しない。近年政治学では「熟議民主主義論」が盛んになっている。「熟議」とは「熟慮」+「討議」の意味である。もしも「集計」だけが民主主義の命だとすれば民主主義の過程はいくらでも技術的にスピードアップが可能である。しかし「慎重な討議」を欠いた民主主義は健全な民主主義とは言えない。現代においてとりわけ熟議民主主義の発展、ゆっくり時間をかけた討議や後のクールダウンのための時間貯めが必要とされるだろう。

現代での議会制民主主義では一般に「投票」中心の性格を有している。選挙はわたしたちの私的な選考(利益)を投票によって表明しその集計結果が複数の政党間の議席配分へと変換され、与野党関係がきまる。議会の機能はハーバーマスの批判のとおりその「審議」機能よりも「表決」機能に重心がおかれ(審議の過程は法案の成否に大きな影響を与えず)議席配分が議場での投票を介して政策決定へと変換される。要するに全体として多数決による「集計」の過程として理解することが可能なのである。

本来民主主義の根幹にあるには「大事なことは自分で決めたい」という私たちの「自己統治」の願いであり「自分が参加しない意思決定によって影響を受けるのは納得できない」という自立の欲求である。わたしたちの意見は熟慮を介してまた他者との真摯な討議を通じて初めて確固たるものに成長する。そのうえで行政は国民参加の内容や質の向上に向けた仕掛けつくりをし、また熟議のなかで意思形成のどの段階で正当性を調達しどのような成果を期待するのかを明確にし整理していくことで熟議民主主義の発展につながると考える。



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